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技術者(理系)の不幸話は、結局のところ文系差別の裏返し

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「俺たち技術者(理系)は頑張っている。なのに会社、業界、日本がうまくいっていない。それは技術に無理解な文系のせいだ。」

こういう理系不幸話はネットでよく見る。どうしてだろうか。実際理系が文系から不当な扱いを受けているからなのか。わたしは違うと思う。むしろ逆で、理系の文系差別が裏にあるからだと思う。都合が悪いと他人のせいにする理系達が文系差別を利用して被害者のようにふるまい、文系に問題を擦り付けているからだ。

理系が評価されないというのなら、理系が起業して経営者になればいいのでは?と思うのが普通だ。そんなに無能な文系が牛耳ってるぬるい業界は、きっと素晴らしい技術で無双できるだろうし、君の下で働く理系は幸せになるだろう。

実際アメリカではそれができている。しかし現実の日本の技術者はいつまでたっても起業しないで、僕を拾い上げてくださいと待つだけ、愚痴を言うだけ。自慢することと言ったら転職でgoogleに行きましたとか、他人が作った器のなかに入りたがる具材としての人材アピールでしかない。器を作る側にならない。だからあんなに無能扱いしている文系にいつまでたっても勝てないのではと思う。いかにも日本の理系という感じだ。恋愛だって美少女が空から降ってこないか待ってるだけだもんな。

これがオタクのはなしになると、文系理系ではなく現場vsスーツの話になる。漫画業界でも漫画家という現場を評価するオタクが、ドラゴンボールの編集をしていた鳥嶋さんがたまにインタビューをうけると「裏方はでしゃばるな」とキレているのをよく見る。漫画家から手柄を横取りする奴らみたいな認識なのだろう。

日本人は編集者よりも漫画家を評価したがる傾向にある。だからオタクは編集者をしらないし知ろうともしない。ジャンプ初代編集長の長野規ですらかなりのコアなオタクじゃないと知らない。それは仕組みを作る人たちを全く評価しない証明になっている。

アニメ業界でも同じことが言える。岡田斗司夫のように話術に長けて企業から資金を引っ張ってきた敏腕Pは叩かれる対象だ。「ただ口がうまいだけのくせに偉そうにするな」と、オタクはプロデューサーを評価してきた。オタクイズデッドで岡田斗司夫は、昔と違って今はオタク=ただのコミュ障みたいになってしまったと語っている。

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だから現場vsスーツになるのだと私は思う。

そしてアニメ業界はみんなして現場に引きこもる陰キャ集団になってしまい、だれもアニメーターに金を引っ張ってこなり、金に困っているアニメーターをみて、オタクはテレビ局のせいだ電通のせいだと責任を外部化するわけだ。理系が文系のせいにするように。

とはいえ希望もあって、君の名はで中村元気が、鬼滅の刃で高橋祐馬が注目されるようになった。もっとも注目したのはビジネス系メディアで、アニメが世間一般に受けたのでそういったメディアがプロデューサーに焦点をあてて取り上げたからだ。コンテンツが一般受けすると、まともなメディアがまともな視点をオタク業界にそそいでくれるのだなと感動したのを覚えている。ちょっと前にオタク系メディアがけものフレンズ騒動での失敗をカドカワ側に責任を押し付けるようなゴシップ記事を書いていたが、見習ってもらいたいものだ。

これがITや工業の分野になると理系vs文系、技術者vs経営者になるわけだ。ビジネスモデル軽視、マーケティング軽視が、結果的に技術者に給料も払えない状態になってしまう事がわかってない。わかってしまうと自分達の理系>文系のヒエラルキーが崩れるからだろう。

難しいことしてるから給料は高いのだという技術中心主義な連中の思考は、選民的で排他的だ。技術マチズモみたいなものがある。技術マッチョによって、アニメオタク界隈でも写実的なキャラがよく動く攻殻機動隊のようなタイプを好むオタクが、動きのすくない日常萌えアニメを叩いているのをよく見た。

技術と金儲けの関係は有るといえば有るが、無いといえば無い。その程度のものでしかない。あればより効果的ではあるが、本質ではなく必ずしも必要なものではない。厄介なのは萌えアニメ好きの中にも技術マッチョはいて、実は萌えアニメもレベルが高いことやってるんですよなんて理屈で反論するから地獄だ。最初にリンクをはった「ソシャゲってじつは凄いんですよ」なロジックを展開している連中もそうだ。

たしかに萌えにも技術はあるだろうし、ソシャゲにも技術はある。京都アニメーションはよく動く萌えアニメを作って世間を魅了したし、サイゲの技術もすごいと思う。しかし、この手の技術マッチョが技術を軸にしている背景にあるのは、自分たちのヒエラルキーが脅かされてしまうことに対する恐怖だろう。

技術すごい論で言い返さなければ、現場が偉いという設定が崩れてしまう。理系>文系のヒエラルキーが崩れてしまう。だから楽に金稼いでるといわれるとカチンとくるのわけだ。

技術に頼らずスマートにお金を稼ぐ人たちという評価でよさそうなものだが、そうなると現場の手柄を横取りするスーツ野郎を利することになってしまう。いかにも苦労することが偉い日本人といった感じだ。結局のところ勤労でしかアイデンティティが保てないのだ。

技術至上主義は、アイディアとビジネスモデルの軽視になる。いつまでも技術至上主義だとブルースクリーンを頻発させたwindows95がなぜ売れたのかわからない。文章作成ではワードより一太郎の方が優れていたのに、みんなが使ってるからという理由でワードが売れた。ビジネスモデルの勝利だ(まぁあれはただの抱き合わせ販売だろという話ではあるけど)。

もちろん技術も大事なことで、今でこそMSは一流の技術者抱えており、ブルースクリーンも頻繁には起こらなくなった。それは資金があるからいい技術者を雇えるようになったという結果の話だ。技術が金を生むし、金が技術を生むことある。だからビジネスモデルを考える文系職を軽視した技術者の嘆きはかなり危険だ。

とくにITビジネスは1g軽くしましたとか、1mm薄くしましたとか、そういった理系的モノづくりスペックビジネスがあまり通用しない世界だ。スタートアップのときは毎秒数万のリクエストをさばく理系の競争よりも、アイディアやビジネスモデルのほうが重要だ。何が大事なのかを知ろうともせず文系職を馬鹿にしている日本の理系が、まわりまわって給料が低くなるのも当然の事だろう。